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エストニアの歴史

はじめに

国旗の紹介
エストニアの国旗の意味するところ
青:空・海・湖そして身体と忠実
黒:エストニアの農夫の伝統的な黒いジャケット、外国に支配された暗い過去
白:真夜中の太陽によって照らされたカバ樹皮や雪の色と白夜、そして啓発と美徳への努力

切っても切り離せないのが旧ソ連と、ラトビア・リトアニアのバルトの国々。
今回のテーマは「エストニアの歴史」です。今でこそ「電子国家」、「IT先進国」で有名になったエストニアですが、デンマーク、ロシア(旧ソ連)、ドイツ、ポーランドなどの大国に挟まれ、争いに巻き込まれてきた複雑な歴史を持っています。その中でも今回は主に旧ソ連による併合と独立の歴史にスポットをあてます。さらにその歴史が現在のエストニアに何をもたらしたのか、そしてエストニアの目指す未来についても紹介します。

 

エストニアの起源

エストニアに人類が初めて足を踏み入れたのは紀元前8,900年ごろと言われています。その後13世紀に北欧十字軍による侵攻でデンマークに占領されました。その当時、首都タリンもフィンランド湾への港として建設されたそうです。以後、デンマークやポーランド、スウェーデン近隣といった大国間の戦争に巻き込まれていきます。

 

旧ソ連による支配の始まり

1918年に独立を宣言したのも束の間、エストニアは旧ソ連による侵攻にあいます。独ソ不可侵条約が締結された翌年の1940年、旧ソ連は初めてエストニアを含むバルト三国を併合します。旧ソ連がバルト三国を狙った理由は、地理的なメリットにあるといわれています。
旧ソ連にとっての地理的メリット
・勢力を拡大していたナチス・ドイツとの緩衝地帯
・不凍港の獲得(タリン、リガは高緯度地域における貴重な不凍港としての機能が期待できる)
また、上記のメリットに加えて、「ロシア帝国時代(18世紀~1917年)に支配していたバルト三国は自国の一部である」という長い間大国として君臨してきたことによる思考も影響しているとの指摘もあります。

 

暗黒時代

バルト三国の人々にとって、旧ソ連やドイツにより支配されていた時代はまさに「暗黒時代」といえるかもしれません。銀行などの大企業や都市部の一部の家屋などの国有化に加え、宗教活動の禁止、共産主義に対する言論の弾圧、共産主義的歴史教育が行われていました。1940~1944の間だけでも、合計で18万人以上のエストニア人が旧ソ連による強制連行などの迫害を受けたといわれています。タリン近郊にあるパタレイ刑務所(Patarei Prison)には大勢の人が無実の罪で収容され、最初に投獄されたのは共産主義体制に異議を唱えたエストニア人警察官だといわれています。パタレイ刑務所は今なお博物館として人々に負の歴史を伝えています。
現在ではタリン観光の見どころの一つになっているトームペア城の南側にそびえる「のっぽのヘルマン塔」。この塔にはエストニアを統治する国の旗が掲げられています。1991年までその旗は目まぐるしく変わりました。

 

独立への機運、そして「エストニア」へ

半世紀続いた旧ソ連による占領も、スターリンなき後に最高指導者についたフルシチョフ(1953~1964年)、ゴルバチョフらによって徐々に緩和の方向に向かいました。逮捕者の減少や中央集権主義の緩和などが進められました。特にゴルバチョフ党書記長の推し進めた「グラスノスチ(情報公開)」と「ペレストロイカ(政治改革)」という政治改革を機に、徐々に抗議活動やデモ活動を行い、独立への機運を高めていきました。
そして半世紀近く続いた独立への思いがついに花開くことになります。1988年に当時のエストニア国民の1/3にあたる約30万人が集まり、禁止されていたエストニア語で独立への思いを歌いあげる「歌う革命」を起こしました。さらに翌年バルト三国の人々が共通した独立への思いを持つことを示すデモが開催されました。220万人以上の人々がタリンからリガ、ヴィリニュスまでを繋ぐ600kmの「人間の鎖」を作り上げたのです。東京・大阪間の直線距離が約400kmということを踏まえると、これがいかに衝撃的なことだったのかおわかりいただけると思います。現在でもエストニアでは5年おきに「歌と踊りの祭典(Laulupido)」が行われています。2008年にはUNESCOの世界無形遺産にも登録され、世界的なイベントとなっています。(ラトビアでは5年おき、リトアニアでは4年おきに、同様の祭典が行われています。)
これらの独立運動をきっかけに、比較的ロシア人の人口が少なかったリトアニアでは1990年に、エストニア、ラトビアでは1991年に独立を果たすことになります。そしてのっぽのヘルマン塔には、エストニアの国旗が掲げられるようになりました。

 

旧ソ連による支配がもたらしたもの

負の歴史といわれる旧ソ連によるエストニア支配ですが、今のIT先進国としてのエストニアを作りあげた要因もまたその歴史にあります。旧ソ連は現在のエストニア領内にサイバネティックス(人工頭脳学)研究所(後のサイバネティカ社)を設置しました。そのため国内でも優秀なIT人材の輩出に繋がりました。

 

エストニアの今、そして未来

最後に、エストニアの今と描く未来について紹介します。長らく大国による支配を受けてきたエストニアですが、現在でもその脅威にさらされています。独立後にEU、NATO加盟を最優先としていたことからもわかるように、国として西欧社会への復帰を目指したのも、EU諸国にロシアから守ってもらおうとする意図もありました。実際に2007年にはロシアからと思われるDDoS攻撃やボット攻撃を受け、様々なサービスの停止を余儀なくされました。2014年にはロシアによるクリミア併合が、バルトの国々に緊張を与えました。そんな中、現在エストニアが取り組んでいるのが「国家をデータとして管理する」ことです。エストニア政府はほとんどの国民のデータを電子化し管理しています。そのデータを自国のサーバのみでなく信頼できる他国のサーバにも保管し、万が一自国が物理的、もしくは電子上で侵攻を受けたとしても国を立て直すことができるような仕組みを目指しています。2018年にはルクセンブルグに世界初のデータ大使館を設置しました。今後も世界中にデータ大使館を置くことでより柔軟な国家を目指しています。

 

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